医療法人七生会

ただいま工事中

私たちがともに学んだ京都大学医学部神経内科には、お一人の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の方が気管切開を受けたあと、専用の個室に比較的長期に入院されていました。私たち研修医は、代々その方を交代で受け持つことで、神経難病ケア、その見方考え方、接し方、あるいは哲学までを、改めて考えさせられることになります。いわば神経内科医としてのイニシエーションですね。朝早くから夜遅くまで奥様がおられるそこには、ある意味療養の「暮らし」がありました。ユーモアもあり、私たちが結婚した際はずいぶんからかわれもしました。その方を受け持ってあらためて感じたのは、命の尊厳です。QOLという言葉があります。クオリティオブライフの略ですが、英語のライフにはご承知のように三つの意味があります。生活、人生、そして命です。生活や人生の意味のライフは分かりやすくQOLはおおむねそのイメージで使われますが、ALSのような究極の難病では、いわば、むき出しの形で命に向き合うことになります。それもかなりの期間。その間、何が必要なのか、私たちに何ができるか、それは今に至るまでつづく絶えることのない課題です。そして、その課題を突きつけてきたのは、その方の生活よりも、人生よりも、そのむき出しの命だったと思います。それ以降、私の父も含め多くの難病をもつ人と関わってきましたが、体の動きを奪われても、声を奪われても、そこにある暮らし、そのなかで輝く(と私には思える)命があります。そして、それを支えるのも、往々にしてその輝きを曇らすのもどちらも社会でもあることを痛感します。個別の対応に終始しがちな難病支援を、地域で、社会で考え、当事者を、家族を、支援者を、支える必要がある理由です。