医療法人七生会

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この10年ほどで、認知症を取り巻く環境は大きく変わりました。その一番の背景は、欧米に10年近く遅れて2012年からはじまったわが国の認知症国家戦略といえるオレンジプランです。さらにその背景には、パーソンセンタードケアやその理念の実践の一つであるバリデーションなど、当事者主体の考え方があります。前年の2011年には、WHOから世界各国のそうした取り組みをまとめたレポートがDementia: a public health priorityとして出版されていました。京都ではそのオレンジプランに先駆けて、2012年の2月に行われた「京都式認知症ケアをかんがえるつどい」が一つの転換点となりました。ここ中京でも、その前年から、関連多職種と行政、家族の会(認知症のひとと家族の会)による、中京区認知症連携の会が発足し、中京区認知症フォーラムなどのイベントや、オレンジカフェの運営などの活動をしながら、当事者支援につながる地域啓発とその課題を話し合ってきました。その課題に対するアプローチには、大きく言えば二つあります。一つは、この十年を通じて主として行われてきた社会的なアプローチ、もう一つは個別の実践です。そしてその二つは密接に関係します。個別の実践に繋がらない社会的アプローチは常に再検討が必要ですし、社会的な動きとつながらない実践は、名医幻想や、あやしげな教祖(的な人、組織、薬、療法)を生み出すリスクがあります。認知症におけるこの10年の社会的アプローチはいわば、医学への異議申し立てでもありました。医学的な枠組みは意図したものでなくとも、天の声のように、決定論的に捉えられます。そのような医学の枠組みを、社会が無批判に受け入れると、当事者の主観や主体性を損なうさまざまなイメージ、誤解、偏見を生み出す温床になってしまいます。こうしたことに対する異議申し立ては、認知症においても当事者から起こりました。そのことはとても重要で、言いかえれば、今でも、常に、声なき声に、私は、あるいは私たちは、耳を傾けているのか、傾けることが可能なのかと自問することが必要です。各自の立場での各自の実践とは、とりもなおさずその機会なのだと思います。それぞれが、声なき声を聞き、それを代弁し広げて行く。前述の、「京都式認知症ケアを考えるつどい」を主宰した洛南病院の森 俊夫医師は、それを、つまりは自らを、「いたこ」と呼んでおられました。10年がたって、「いたこ」が集う機会もまた必要かもしれません。